『ぐるりのこと』を読んでいる。某A駅の駅長さんの取材を終えて帰り道、中央線で。雑誌『考える人』に連載していたエッセーをまとめた一冊なのだが、今日読んだクダリ、藤原旅子さんのお墓のことで著者のナシキカホさんが疑問に感じて、実際に調べて綴っているページをめくりながら、ポロポロポロポロ涙が出てきてしまった。
ーーー旅子さんは、亡くなる前に、懐かしい故郷・近江の比良の山麓の梛の木のもとに埋葬してほしいと願う。梛の木は古い神社にあって、その名も「還来神社(もどろき)」。この話しは広く知られていて、誰もが旅子さんは梛の木の下に眠っていると思っていたのだけれど(もちろんナシキさんも)、それが、別に本当のお墓があって、旅子さんは戻りたいと思っていた梛の木には眠っていないということが判明する。還りたいと願っていた梛の木に遺骸は戻れず、御霊だけが眠っていると、、、。権力闘争に明け暮れた古代を生きた旅子さんを、ナシキさんは、とても近くに感じて、綴っている。
私の父は、喉ぼとけの近くに魚のようにエラの名残があるエラ人間だった。だからかどうかわからないけれど、海に還りたいとずっと言っていた。でも、お葬式の後、父は、私の手の届かないところへ運ばれてしまって、海に還してあげられなかった。でも、私にとって、父はどこにいるかというと、お墓でも海でもなく、私の中にいる、、、本を読みながら、私は父を想っていたのだった。
そして、旅に出て還来神社を訪ねる私を、ものすごく強くイメージしたのだった。
中央線で泣きながらも、駅に降りたらフィットネス。別人のようにガンガン汗流して、帰宅。ビール、日本酒、おみやげでもらったおねえさん焼き菓子店のアプリコットタルト。1000年も前を想いながらも、ちゃっかり今を生きている。